気ままな25歳SEのちょっとだけ毒舌エッセイ

辛口自虐エッセイ・詩・短歌・俳句など。

正義という暴力について

大声で子どもを叱っている母親を見ると、
内容はともかくとして、いたたまれないような気になってしまう。


じぶんとは関係ないのだけれど、
よくじぶんの「ただしさ」をそこまで信じられるよな、とおもってしまう。


はたして、自分が親となったときに怒ることができるのか、やはり怒らなければいけないのだろうか、では怒っている自分がまちがっていたとき、だれが正してくれるのだろうか。ひどい勘違いやろうのまま、母親なんてやっていることを考えたらぞっとする。



正義というのは、
時に暴力と紙一重であるから気を付けなければいけないと思う。


正しいこと、というのは時代によってかわるし、
国や地域によってちがうし、
信じている教えによってちがうし、
所属している団体によってちがってくる。


真面目な人ほど、ルールに翻弄されて正論を振りかざすから
周りはたいへん、迷惑をこうむるのである。


言われなくともわかっていることを、
あえて大声で言いふらすのは暴力的で品がなく、自分の愚鈍さをアピールするかのようにあわれに見える。


正論とは、その正しさに目がくらんでしまいがちだが、
正しいからなんでも言っていい、というわけではない。


世の中、ふわっと、なあなあにしておいた方がうまくいくこともある。
正しいからといって、常に正論を言うことが正しいわけではない。


時に正しいことは人を傷つけるかもしれない。
むしろ、わけのわからないことで暴言を吐かれても、
どうとも思わないしね。笑いがこみあげてくるかも。


人をしかるとき、人に意見するとき、人に親切にするとき、
その裏に正義感という欺瞞に満ちあふれた動機が存在していないか、
じっくり考えてみて。



そんなこといって、私はまだまだ独身でいるのだから、
しばらくは怒られてばかりだと思うとうんざりする。